塗膜研磨における綺麗を考える

1.綺麗とは何か? 1.3.綺麗の定義

綺麗の定義

塗膜研磨における「綺麗」の内容を、私たちの感覚による実体と、研磨作業における利用可能な方法との両側面から考えてみると次の様になると思われます。

① 実体的定義 塗膜研磨における「綺麗」は、私たちが感じている心の中身を探ると、「傷やクスミが無く、ツヤがあること」になります。「傷が無い」はそれが視認出来無いことです。「クスミが無い」は白ボケが無いことですから高発色や高光沢の状態と言えます。「ツヤがあること」は写像性が高いことです。「『色彩』『光沢』『写像性』*1(は)塗膜、金属、プラスチックなどのあらゆる材料製品の表面の外観的特性として、・・品質管理に欠くことができない」*2 と言われているので全くそれらとパラレルに塗膜研磨における「綺麗」を考えてよいといえそうです。更に、それらを分析して考えるのではなく「ツヤを測色することで綺麗を表現できるのではないか?」という観点から、綺麗の実体を定量化する試みを探っています*3。

② 形式的定義 「塗膜研磨における綺麗の限界」と「自動車塗膜研磨作業の意味」との内容を踏まえ、研磨作業における方法から「綺麗」を考えなおすと、結局、それは「消そうとした傷とそのために付けた傷の両者を含めて、すべての傷が最後に付けた浅い傷のみになること」と言えます。「消そうとした傷」とは、ペーパー目や引っかき傷など、消そうと目標にしていた傷のことです。「そのために付けた傷」とは、目標となった傷を消すために広範囲に付け続けた、もう少し浅い傷のことです。すべての傷というのは、意図せずに入ってしまった傷も全部含めるという意味です。それらが全部順次置き換わって消え、最後に接触したバフとコンパウンドとによって発生した浅い傷だけになることが「綺麗」ということです。

研磨作業は「『擦り傷やクスミ、ペーパー目などの傷を消すために、その傷よりももう少し浅い傷をバフとコンパウンドとで広範囲に磨き付けて、その傷を次の工程の浅い傷に置き換えることで消す』行為の順次な繰り返し)」ですから、工程を順次繰り返すことによってだんだん残る傷が浅くなって、最後に接触したバフとコンパウンドとによって、発生した浅い傷だけになることが「綺麗」ということになります。この定義は、研磨作業の方法から考えたものであるので、作業で到達可能な状態を最終目標にします。実体的な定義ではどんな状態になることが「クスミが無く、つやが出」たのかが分かりませんし、人によって感じ方も変わりますが、方法的形式的定義の場合は到達目標が明確です。私たちが持っている材料(バフとコンパウンドとが最も浅い傷を付ける組み合わせ。通常は最も肌理の細かいスポンジバフと超微粒子コンパウンドとの組み合わせ。)の傷になったら、研磨作業の終了です。終了して良い理由はそれが、「綺麗」だからで、それ以上浅い傷を付ける方法が無い以上、実体的にもそれ以上「綺麗」にはならないからです。

ただし、技術が進歩し、もっと優れたより肌理の細かいスポンジバフと超微粒子コンパウンドとが開発されれば、実体的にはもっと「綺麗」にはなります。

*1 写像性は「塗膜表面に物体が映った時、その像がどの程度鮮明に、また、歪(ゆが)みなく映し出されるか(須賀長市 同 耐候光と色彩<改訂版> P.306)」の程度である。光沢とツヤの両方を含んだ概念。「像の映りこみ」に関する表現は、ディテイリング業における「『鏡面』研磨」の意味が鏡の様に映りこむ、映りこみの豊かさ、つまり、傷が無いことを表現した言葉であるのに対して、鈑金塗装業における「『鏡面』に研磨する」の意味が、鏡の様に平坦で像の歪みが無いこと、つまり、肌が無いことを表現することに用いられている点で異なっている。

*2 須賀長市 同 耐候光と色彩<改訂版>  P.197 P.291 P.305 要約。

*3 拙著  塗膜研磨における「綺麗」を考える 第19回 カーディテイリングニュース 120号 2016年8月25日より (株)ジェイシーレゾナンス発行